多くの場合、オーディオマニアは次第に「うわっ、凄い!定位が締まる!沈み込む見えるような超低音!高解像度!音の捌きがいい!レンジが広い!」とか言い出すが、これ全部「自然とは程遠いオーディオマニアだけにしか通じないダメな音の用語」と言っていいです。超低音に関しては打ち込みでそういう信号が入ってるなら無論沈み込み見えるような超低音であるべきですが、大抵他の大きな問題と引き換えに達成されていることが多いので…
そして斯様な音を出すとマニア同士は喜ぶが素人(特に女性、かつ音楽やっていると尚更)受けが悪い。一つ前のsynergistic researchへの挽歌という記事で書いたが、ロジウム、金属スパイク、重く硬いボード(Zboardとか。知ってる?)を使うと簡単にこうなる。
しかも派手な方が比較試聴すると受けが良いのでアクセサリーなども新型になるとそういう音になっていく事も少なくない。アクセサリーで一例を挙げるとアコースティックリバイブの電源ボックスがわかりやすい。初期の方が自然であった。それがボックスが重くなり、比重が増して分厚くなるにつれ音に迫力と外連味が増し、コンセントがCCRからフルテック NCF系になりなおその傾向を強めた。単線ケーブルも特にFI50NCF使用の最後期に近づくとやはりその傾向が明らかになる。
アジアの富豪が好む機器も見ている限りこの系統の物が受けが良いようだ。自然さより「オーディオ臭い凄い音」が良いのだろう。文化レベルに欠ける成金感が鼻につく。真逆の環境だがウィーンでオーディオショップなどを回ったが音楽に生活が根差すとこう言うオーディオになるのか、と。むしろ「文化レベルが低い土人ですみません」と思いながら楽友協会ホールの幕間のカフェの隅っこで話し掛けられぬようコーヒーを啜っていた。威嚇の為にシルクハットとステッキという出で立ちで思い返すも草。
その点、オーディオに興味がなく、なおかつ生音を良く聴いている人種は非常にシビアで良いですな。「家族に迫害されたオーディオマニア」という有りがちな事に成らぬためにも「普遍的な音」は大切です。