認知を鍛える為、ヒトと交わろう
というお話です
いきなりですが”好きな音を出しているのがオーディオのあるべき姿ではない“と思うのです
オーディオはある所まで正解不正解、基礎体力があって、其処から先に好みの介在する(ないしは録音というものと向き合った際何を取捨選択するかがある)ものだと考えます
好き勝手やっているだけでは趣味として浅く文化として成り立ちません
システム以前に”己の認知を高め善し悪しを理解出来るようになる”事がオーディオのみならず深みと妙味を感ずる事に繋がると強く思っております
その尺度から言うと我輩も何人かのつわものに認知を叩き直されております
特にかの老害KANATA氏あたりでしょうか
位相や音像とアンビエントの見方、セッティングが合っているとはどう言うことか、合ってないとはどういうことかを毎回罵詈雑言を言われながら理解させられて来ました
そして認知が向上してくると元から面白かったオーディオが遥かに面白く深みを見いだせます
また物の見方が変わってくる
これは他の分野…歌などもそうでしょう
最近色々な声楽家に歌を習う機会がありましたが結果歌の技術の善し悪しの見方の尺度が大きく変わってきました
認知を向上することこそ文化の根元です
否定されるのがイヤ、とかだと進歩しません。寧ろ高次な認知や技術の持ち主に否定されるからこそ進歩出来るのです。褒められて得るもの無し。
お陰様で今までのアクセサリーのベラボウな経験から来る技術と認知向上による正否判断が噛み合い自由闊達かつ高次元な調整能力を得たと思います。
もっとスパルタンで強い精神を持つオーディオファイルを一緒に目指しましょう