人によっては耳に痛いどころか耳から血と脳漿が吹き出る記事になりますが、オーディオ世界の未来のために誰かが書かねばならないし我輩が泥を被ります
評論家>ショップ>メーカー≧物言うハイエンダー>>>>その他…
なんの順番かと言うと『勉強(修練)すべき量』の事です。勿論得意不得意分野がありましょうが合計としては概ねこうあって欲しい。ここでの勉強(修練)とは学術的な話だけではなく音とヒトとの関係性やエンジニアリング的な『正否』を判断する聴き耳など包括的な話です。
まず評論家だが、評論する立場なのだからそれはズバ抜けた聴き耳と博覧強記の知識が求められよう。全てが必要であり、そうでなければ評論する資格無し。
次にショップである。客に何かを勧める際に『利鞘』が大きい物を勧めている不届き者も多い…ろくに客のスピーカーをセッティングも出来ず、売らんかなの精神であり満足させぬ方が買い換えに繋がる。『光変換するとジッターが無くなる!』と書いていた最高級ハイエンドショップも有ったな。末法の世である。
メーカーは開発のために技術的な勉強は勿論他社含めた技術動向やヒトと音の関係など多くを学ばねば良い音(普遍的な)の機器は造れないだろう。蓼食う虫も好き好きな製品では成長しない。
ハイエンダーは影響力が比較的大きいが故に頓珍漢な持論を表に書くと後進への悪影響となりこれも宜しくない。
なお我輩は記事次第では1つ表に出すために10個程の論文を精査し比較検討し裏を徹底的に取った上で載せている物もある。音響関係は特に。嘘や誤りを書いては行けないのだ。まあその上で『この学術は実態とかけはなれていて役に立たないペンケ』とかなりますがね。知ってから踏み潰さないと行けません。
我輩のような平均的で凡庸な一介のオーディオファイルに理屈で刺されるような内容を掲載、投稿するのはプロならば止めるべきです。する前にもっと推敲を重ねて熟慮してから投稿しましょう。プロなのですから。
評論家でも『このコンセントクリーナーは研磨剤が入ってないのにみるみるうちにクリーナーが黒ずんでいく!綺麗なコンセントでも汚れている!』って書いてた愚か者が音元にいましたね。田中と鈴木だったっけ?(でもプロ用ケーブルを使い始めた田中氏は最近ちょっと好き)
こいつらピカールとか使ったこと無いのかよ…取れたとお慶びのそれはコンセントのメッキだよ…そら無限に黒くなるよね…と当時震えた。あと研磨剤付着すると音は歪むから害悪っていう。
今では研磨剤入りって書いてあるけど。
つまりは『モノを言うなり影響力があるからには全力で勉強し続けないとならない』と言うことです。生涯、勉強。
指摘されてそれが正論なら痛みと共に苦虫を噛み潰しながらその指摘を受け止める。お互いに殺し合い、情報提供しあい、高め合う。大事なことは成長することであります。痛みはそれで死なない限りは人を成長させます。
とにかく殺し合いたい…
『褒められたい!』『褒め合ってたい!』『傷つきたくない!』という姿勢では成長できません。自宅に招いた際、基本的には『問題点を言ってくれ』と言うスタンスで居ます。褒められればうれしいですが成長はしない。褒められて得るものなし。我輩は何より成長を求めます。
そもそも皆がステレオサウンド読まなくなったのは評論家のバトルが無くなって馴れ合いに堕したからですよね?
前にも書きましたが『音に正解はないんだから好きな音を出してれば良いじゃん』と言うのは誤りです。正解は途中まではキチンとあり、そこから先に『好み』『表現の違い』がようやく出てくるのです。
分かりやすい所だと音場や奥行き、配置には正解がキッチリあります。そしてそれはエンジニア(レコーディングエンジニアだかミックスだかマスタリングだか)が知るところです。(だからエンジニアに聴いてもらうことほどエキサイティングな事はない)
そして努力と成長無くして『文化』はありえません。成長や努力とは高い機器に買い換えることではない。『認知の成長』とそれに必要な努力の事を指します。スピーカーセッティングは最たるもの、必要なのはレーザーでも何でもなく『認知の向上』です。
偉大な先人達の足跡と積み上げた蓄積は大変なものです。それを『好み』と断じて馴れ合いの殻に閉じ籠るのは勿体無いこと。
これからも我輩は痛い目に遭い、穴という穴から血を吹き出しながら少しでも磨き上げ、後世に繋ぎ、そして愛するオーディオ業界の再隆と発展に尽力したいと思います