なにやら『自分の認知の向上が加速している』と思う。過去の色々な経験や出会いが肥やしとなりつつも最近の諸々が引き金となり認知を成長させている。オーディオ即ち認知の向上であり、認知を向上即ち音質の向上である
色即是空空即是色、煩悩即菩提
結果的に音の向上を大変な速度で伴っており1週間前の音を今聴いたら堪えられないと思われる。active tronやQuantum Acoustic Audio、かないまるタップという一発一発が重い物に連続して出会っており、それらがまた認知を飛躍的に向上させてくれている。
認知を向上させてくれた人々、アイテムに感謝
本当に良いオーディオ人生だった(死亡)
認知が成長しているということは、過去に遡れば遡るほど『認知が劣っている』と言える。成長とは『己を否定していく事』であり、辛いことだ。己の認知の先を行く者に『否定』と『罵倒』をされる日々。『全然違う!右スピーカーが前に数ミリずれてるぞ!』『その位相を狂わすシューマン何とかを出すクソを捨てろ!!』
(ほんとかよ)とか疑いつつもその後に何を言っているのか理解したりして今に至る。今では我輩が『右スピーカーが前に数ミリずれてるぞ!』とか言うようになったのである。
罵詈雑言を己から求め、全力疾走し続けた結果景色は後ろに高速で流れてもう認知で前に走る者はほぼ居なくなってしまった…のでまだ見ぬ強者が居るであろうエンジニア界に侵略し始めたという経緯である。
我輩は高額なオーディオを揃える人間は『自分の好きな音を出していれば良い、人それぞれだよね』と絶対に言うべきでは無いと思う。『普遍的な認知、音の基礎的な段階が一定まで進んだ後』に漸く『好みや表現』と言って良いと考える。演奏がそうであるように。リズムずれるドラムとかピッチがずれるバイオリンで『人それぞれだよね』とか言ったらバイオリンで頭かち割っていいと思うの。
何で高額オーディオは、なのか?
それは『オーディオの世界に入門する、あるいはしたばかりの方々の憧れとなる音』でなければいけないからだ。そこで『普遍的でない』音を出されると『こんなメンタマ飛び出る金額でなにも面白くない』となり興味は失せ、この業界は終わる。否、終わりつつある原因の一端である。
普遍的な音とはエンジニアが想定している範疇であり、またテレビやラジオで流れる一定のバランスである。オーディオマニアの音と違いエンジニアは普遍からずれない事が多い。プロである。
音は昔のマニアの方が偏っていた。JAZZ喫茶の音なんて大体聴けたものではない。だってjazz喫茶って下手するとピアノからシンバルのような音がするんだもの。究極は女性ボーカルからシンバルの音がしたこともある。
そして家族から『音酷いよね、自分の部屋でラジカセで聴いてくる』とかになり、迫害されて『男の趣味』『女に何がわかる』『好きな音を聴くのがオーディオ』となっていったジジイを死ぬほど見てきた。煩悩即菩提。
あるいは例えば秋葉原の某ショップのタワー最上階に『素人』を連れていくのが好きだった。その反応を観察していたのだ。
そこでわかったことが『普遍的な音でないと悪い意味で真顔になる』のだ。まあそういう音だと我輩の顔も真顔になるが?やはりポップスなどがどこぞで流れているのを散々聴いている時と比べて違和感なく普遍的なバランスで楽しく鳴ること。逆に優秀録音は普遍的なバランスを欠いても楽しめるというか『凄い音!リアル!』とかいう時は基本的に普遍的から離れている。優秀録音以外は聴くべきではないというメーカーの音はエキセントリックで普遍からは遠く、一般人、特に女性からは絶対に人気が出なさそうな音がしているものである。そして『凄い音』でないとなかなかアジアでは高額品がマニアに売れないのだ。
高額品を買ってる方々、日本のオーディオ界の未来のために普遍的でニュートラルでフラットを保った上で基礎性能が高い音を目指しましょう。